小説関係

歴史的剣豪 堀部安兵衛【池波正太郎著 『堀部安兵衛』より】

堀部安兵衛
龍馬

日本における歴史的剣豪と言えば、「宮本武蔵」や「塚原朴伝」、「上泉伊勢守」などがよく挙がりますが、今回は、池波正太郎さんの作品から、「堀部安兵衛」を紹介したいと思います!

おっ、いいね!堀部安兵衛は知っているよ!あの伝説の忠臣蔵に出てくる赤穂浪士の1人だよね?

晋作
龍馬

そうですね!忠臣蔵は言うまでもないですが、堀部安兵衛は、「高田の馬場の決闘」でも世に名高い剣豪で、かなり数奇な運命を辿っている人物です!

ほう!「高田の馬場の決闘」は聞いたことがあったが、良くは知らないな。数奇な運命を辿る人物か...是非聞いてみたいな!

晋作
龍馬

はい、では早速行きましょう!ちなみにこの記事を書いている僕は、「池波正太郎」さんの15年来の愛読者で、ほとんどの著書を何度も読み返していますw

1 幼年期 不幸の連鎖

剣豪

1-1 厳格な父 中山弥次右衛門やじえもん

時は江戸時代前期、4代将軍家綱から、5代将軍綱吉へと移りかわる時代。

越後の国(現、新潟県)新発田しばた藩、溝口家家臣の中山弥次右衛門は

まるで戦国時代から来たような…いわば古い型の武骨な武士でした。

安兵衛の父、中山弥次右衛門は、早くから母を亡くした安兵衛を決して甘やかさず、厳しく育てます。

早朝から、安兵衛をたたき起こしては、雪の日も雨の日も構わずに庭へ引出し、剣の稽古をさせるのです。

その稽古は激烈を極め、容赦なく安兵衛の体を木刀で殴りつけるというもの。

そんな武骨で厳格な父を、安兵衛はとても嫌っており、早く死んでしまえ!と思うほどに。

後に剣豪として世に馳せる安兵衛でも、剣の道などはとても好きになれるものではありません。

しかし。数年後、本当に父との別れが来るとは、この時には夢にも思いませんでした。

1-2 謎の父の死

毎日の厳しい剣の稽古も4年ほど過ぎ、ある日の晩、

安兵衛は虫の知らせともいうべきか、突如就寝から目覚め、

父の部屋からくる異様な空気を感じ取りました。

安兵衛が自分の部屋から出たとき、確かに、父のうめき声を聞いたのです。

慌てて安兵衛が父の部屋へと入ると、

なんと、弥次右衛門は自ら刀を腹へ突き立てていました。

助けを呼ぼうとする安兵衛に、弥次右衛門は今までにはなかった優しさで、

助けの必要がいらないことを安兵衛にさとします。

そして、弥次右衛門は安兵衛に言いました。

「中山弥次右衛門。何事にも見苦しき、いいわけはせぬぞ」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

そう言うと、弥次右衛門は見事に切腹を果たし、息絶えてしまうのです。

事態が呑み込めない上、自害した父を目の前に、安兵衛は気を失ってしまいました…

その後、父の自害の原因について流れてくる噂は

勤めである城下での火の不始末というものでした。

それも、父の部下による不始末。

部下の監督責任を問われた弥次右衛門は、

殿様から謹慎処分を受けましたが、その命に逆らうように自害。

結果、中山家は取りつぶしという処分を受けることになりました。

父と住む家を同時に失った安兵衛は祖父である溝口四郎兵衛みぞぐちしろべえの家へと移りました。

罪人の子となった安兵衛を祖父である四郎兵衛は優しく迎えます。

そして、四郎兵衛は可愛い孫である安兵衛に対して、銘刀、長船清光おさふねきよみつを与えます

この銘刀は安兵衛の生涯の脇差となることに

ここから、安兵衛の再起を図る人生が始まるものとされるはずが、

安兵衛にさらなる不幸が襲います。

それは、四郎兵衛は84歳という高齢から、安兵衛が移り住んで間もなく死去することに…

父と祖父をほぼ同時に失い、安兵衛の人生には暗雲が立ち込めていました。

1-3 父の死の真相を追って

罪人の子だからか、祖父の通夜に出ることをひかえるように言われた安兵衛は床に就くことに。

安兵衛がまどろむ中、突然、夜具に溝口家の侍女、お秀という女性が入ってきました。

おどろく安兵衛に、以前から安兵衛に好意を抱いていたお秀は、優しくなだめ、二人は男女の関係に…

安兵衛にとって、お秀は初めての女性となりました。

その後、床の中で、お秀は思いがけない話を始めるのです。

それは父である弥次右衛門の自害の真相に迫るものでした。

その内容は、火の不始末が起きた事件以後、福田源八という足軽が江戸屋敷へ向かったというもの。

さらに、お秀の父が言うには、火の不始末を意図的に起こしたのはこの福田源八だと…

謹厳実直な父が自身の勤務同様、部下の監督も怠らない人物であることを良く知っていた安兵衛は合点がいったように感じました。

安兵衛は事件の真相を知るため、福田源八を追って、脱藩することになるのです。

1-4 宿敵 中津川祐見なかつがわゆうけんとの出会い

安兵衛のいる新発田から江戸までは約八十九里の道のり。

いくら家を取り潰された罪人の子でも、藩に許可も受けず、無断で国を出奔すれば

さらなる厳しい処分が待ち受けている可能性は十分にあります。

それを承知しながら、安兵衛は江戸への道のりを急ぎました。

それは、やはり、父の死への真相を知るため。

安兵衛が長岡から三国峠へさしかかった時、目を疑う人物が目に入ります。

それは、江戸へ向かったとされる福田源八でした

安兵衛は、福田源八その人と確かめると、源八の前に立ちはだかり、事件の真相を問います。

源八はさすがに驚いた様子を見せましたが、

安兵衛の詰問に、「話をしましょう」と安兵衛を人気のない山道へと誘います。

安兵衛は直感しました。「俺を斬る気だ」と…

人気のいないところまで来ると、源八はこう答えました。

「何事も御家のためでござる」「御家のために、あなたさまも…」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

そう言うと、源八は抜刀して安兵衛に斬りかかります。

安兵衛は源八が意図的に火の不始末を起こしたことを確信しました

そして、これが安兵衛にとって、初めての真剣での決闘となります。

まだ14,15歳にしかならない安兵衛とはいえ、

父から受けた剣の指導は並大抵のものではありません。

みごとに、安兵衛は福田源八を打ち取ったのでした。

しかし、これで父の汚名をそそぐための証人を失ってしまったこと、

罪人の子が藩の足軽を殺してしまったことを考えると

安兵衛は、先行きの不安から失意のどん底へと落ちていきます。

安兵衛が立ち尽くしているところに声をかけてくる人物がいました。

「おれは、中津川祐見と申して、これでも腕のたつ医者の一人だ」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

祐見の話を聞けば、源八が安兵衛に斬りかかるところを偶然通りかかり、全て拝見していたとのこと。

祐見は安兵衛に敵意はなく、むしろ安兵衛の年齢離れした剣技に感心している様子。

安兵衛は祐見に促されるまま、一緒に穴を掘り、源八の遺体を埋めたのでした。

その後、近くの温泉宿に二人は泊り、安兵衛は今後の不安から、祐見に問われるままに

現在までの経緯を全て語りました。

聞けば、祐見も医者でありながら、剣の道を志す者とのこと。

そこで、これからは二人で剣の道を進もうと話をしていたところ、

思いもかけぬ人物が偶然、安兵衛たちのいる宿に立ち寄ります。

それは以前、中山家に奉公していた下僕、伊助でした。

全ての事情を聴いた伊助は、安兵衛の行く末を案じ、安兵衛から離れないことを決意します。

それを見た祐見は安兵衛に対し、

「安兵衛。ちょうどよい。この伊助とやらと一緒に、しばらくは、ここに潜んでいなされ。

…いずれ、会うときもあろうさ。…おれとおぬしと、一生かかわり合うことになるらしい。どうも、そんな予感がするのだ

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

そう告げて、祐見と安兵衛は別れることとなります。

この祐見の予感は見事に的中し、二人は後に語り継がれる死闘を尽くす宿敵となることに…

2 青年期前半 再凋落

繁華街

2-1 新たな道

4年後、安兵衛に新たな道が開けようとしていました。

安兵衛は江戸の旗本、徳山五兵衛とくのやまごへえへの奉公が決まったのです。

祐見と別れた後、しばらく伊助と共に宿にひそんでいた安兵衛は、その後越後へと帰りました。

叔父、三郎兵衛の辞職によって、安兵衛は新発田藩とは関係がなくなり、4年も経つと

福田源八の失踪や、安兵衛の父の切腹事件も忘れられるかたちとなりました。

そんな状況の中、安兵衛の親類による奔走の甲斐もあって、安兵衛の奉公先が見つかることとなるのです。

この時、中山安兵衛19歳、再起をかけるにはまだまだ十分な年齢となっていました。

2-2 中津川祐見の挫折

一方、安兵衛と別れた祐見は、剣の道を歩むため、江戸の窪田甚五郎くぼたじんごろうの道場で修業をしていました。

もともと素質のあったは祐見は、道場でメキメキと頭角を現し、甚五郎も道場の後継者として認め、

「自身の娘婿に」とまで考えていました。

しかし、その話を甚五郎の娘である加年子は承知しません。その理由として、

腕も、男ぶりも御立派だと、中津川さまは、そのことを、お鼻の先にちらつかせておいでなる。それがいや…

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

甚五郎の妻も娘と同意見。これは、祐見を「驕慢で嫌味な男」と感じているということです。

これには甚五郎も思うところがあったらしく、一時は後継者と見ていた祐見を、次第には遠ざけることに…

何事も現在までうまくいっていた祐見にとって、これが初めての挫折となりました

荒んだ生活を送る祐見。

そこに、安兵衛の江戸での奉公を知った祐見は、嫉妬の感情からか、

久しぶりに再会した安兵衛に、「奉公先の門限を破らせる」という性質の悪い悪戯いたずらを行い、安兵衛の前から消えてしまいます。

「見苦しい言い訳はしない」という父親ゆずりの性格を引き継いだ安兵衛は、

門限が過ぎ、締められた門を見て絶望し、帰る場所を無くしてしまうのです。

2-3 お秀との再会

失意のうちに安兵衛は相州藤沢宿に近い街道を歩いていました。

当時における武家屋敷の奉公人に対する門限は、大変厳しいものであって

現代みたいに謝罪の一つでは許されない世界でした

安兵衛は小田原にいる父の親友を頼って街道を歩いている途中、

男に絡まれている女性に助けを求められます。

安兵衛はその女性がすぐにお秀とわかりました。人目につく場所であったことから男は退散します。

お秀は、安兵衛にとって初めての女性。今もお秀に対する思いは変わらず、

安兵衛は男が退散したあと、事情をお秀に聞きました。

聞けば、男の名は裏社会では盗賊として名を馳せた鳥羽又十郎。

お秀はこの盗賊と関係を持ち、その女として付き従っていたが、

官憲の目をくぐる生活に嫌気がさし、逃げてきたというのです。

父の親友を頼ることはできなかった安兵衛とお秀は、

しばらく熱海で身をひそめ、これからの身の振り方を決めようと旅路を進みました。

その旅路の途中、やはり、鳥羽又十郎は安兵衛たちを襲ってきました。

盗賊ごときに遅れは取らないと思っていた安兵衛。

しかし、安兵衛の剣はあっけなく又十郎に跳ね返され、全く歯が立たない状況でした。

安兵衛が死を覚悟した瞬間、突然、背後から又十郎の右腕を切り落とし、

安兵衛に、お秀と共に逃げるように告げる男。

安兵衛の目に映ったその男は、中津川祐見でした。

2-4 復讐の鬼

盗賊から逃れた安兵衛とお秀は、京にある祐見の家に住んでいます。

祐見は、安兵衛に悪戯をした後、再起を図るため、亡父の遺産を受け取るべく京へと旅立ちました。

その京へと向かう途中、安兵衛たちに出くわし、助ける結果となったのです。

祐見の悪戯によって、奉公先を失った安兵衛でしたが、

盗賊から身を救ってくれたのも祐見であったことを考えると

祐見に対する感謝の念は消えない安兵衛でした。

安兵衛にとって京での生活は、お秀がいることから楽しく、

毎晩のようにお秀の部屋へ行き、彼女の腕で眠りました。

しかし、京での日々の中で、次第にお秀の態度が少しずつ変わります。

ある日の深夜、小用で自室から廊下へと出ると、祐見の部屋からお秀の声が。

最近、お秀の態度が変わってきたことから考えて、全てを理解した安兵衛。

祐見の部屋へ飛び込むと、やはり祐見とお秀が戯れていました。

安兵衛は激怒して、二人に飛びかかります。

しかし、祐見には適わず、結局、祐見にあしらわれて気絶させられる安兵衛でした。

次の日、安兵衛が目覚めた時、祐見とお秀は家にはいません。

そして、来る日も、来る日も、二人を待ったが帰ってくる気配は一向になかったのです。

逃げたことを悟った安兵衛は、初めて愛した女に裏切られた激情から、「二人を斬る」という決意を固めました。

3 青年期後半 人生の邂逅

繁華街

3-1 大内蔵助くらのすけ

「熱海で、あの鳥羽又十郎という盗賊の刃の下で、おれは、ぶるぶるとふるえていた。そして、祐見にも子供のようにあしらわれてしまった…」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

子供の頃から鍛えた安兵衛の剣術は、広い世の中で通用するものではなかったのです。そして…

「もう、いかぬ…何も彼も駄目になった…」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

安兵衛のために奔走してくれた親類たちに顔向けできない失敗を重ね、行き場所すら見失ってしまったのです。

人間というものは、その感情の激発一つによって、大きく運命が変わってくるものだ。

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

しかし、それでも自分を裏切った「祐見とお秀を斬る」という激情は消えません。

二人を追うべく、安兵衛は資金が必要となることから、苦慮の結果、祖父から譲り受けた愛刀、長船清光を売ることに決めました。

店に着き、「祖父の形見である刀」を店主に引き渡した時、安兵衛は自然と両眼から涙が溢れでるのを止めることができません。

すると、そこに居合わせ、一部始終を見ていた一人の武士が言いました。

「お待ちなされ…それがし、浅野内匠頭たくみのかみ家来にて、大石内蔵助と申す」

気品のある突然の名乗りに安兵衛は驚きますが、これに夢中で答えます。

「わ、私は、越後新発田の浪人にて、中山安兵衛応庸まさつねと申します」

「うけたまわった」そういうと大石内蔵助は、店主から安兵衛の愛刀を受け取り、

安兵衛を店の外に促し、安兵衛の手を引いて、人気のいない場所まで連れて行きました。

そして、大石内蔵助は、安兵衛の愛刀を渡し、一切の訳も聞かずに自身の財布ごと、有り金すべてを安兵衛に貸したのです。

大石は言いました。「返済は、私自身ではなく、江戸や京でのわが藩邸でもよいですよ」と…

その大石の圧倒的な人格に魅了されながら、安兵衛は深くお礼を述べ、返済の約束をしたのでした。

この時、大石内蔵助は30歳、後に伝説となる忠臣蔵の主人公ともいうべき人物です。

3-2 野六郎左衛門すがのろくろうざえもん

心変わりをした女を殺すためにおれは生まれてきたのか…そのために、おれの一生があるのか…

あの、大石内蔵助という浅野候の御家来も、おれが、このようなまねをするために、祖父の形見の清光を売ろうとしたとは思うておられまい。

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

これから自分がやろうとする行為に、ばかばかしく、後ろめたい思いをしながらも、

「一生をかけて仕えてもよい」と思えるほどの人物、大石内蔵助からの金銭の借用に、なぜか勇気が湧いてきた安兵衛。

安兵衛は、大津からくる東海道と合するあたりの街道で、祐見とお秀の二人を待ち伏せたのです。

待つこと三日ほど経ったある日、そこに、楽しげに会話しながらくる祐見とお秀の二人を見つけました。

すぐにでも飛び出して二人を斬りたいと思う安兵衛。

しかし、二人の近くには、舟番所の役人らしき者がいたことから、安兵衛は二人の後をつけることに…

そして、二人が泊まった宿を確認すると、安兵衛もその宿に泊まりました。

次の日、二人が宿を出ていくところを見届けた後、安兵衛も宿の外に…

これから、人を斬ろうとする安兵衛の相貌そうぼうは、尋常のものではなかったようです。

向かいの宿から、安兵衛に鋭い一瞥いちべつを向ける一人の老武士がいました。

老武士と目が合った安兵衛は、その視線から避けるように、二人を追うため走り出します。

そして、ついに二人に追いついた安兵衛は、人目をはばからず、いきなりお秀を斬りつけました。

しかし、安兵衛の刀はむなしく空を切ったのみ。

これに驚いた祐見は、刀を抜いて安兵衛に応戦し、峰打ちで安兵衛の体を数度打ち付けました。

そして、安兵衛の刀は、祐見に跳ね飛ばされます。やはり祐見には適わない安兵衛。

なおも抵抗を止めない安兵衛に祐見の刀が振り下ろされようとしました。

安兵衛が死を覚悟した瞬間、遠くから「待て」という叫び声が…

この叫びを聞いた祐見は刀を収め、お秀と共に急いでその場を離れていきました。

安兵衛は朦朧もうろうとした意識の中で、二人が逃げていく姿を見ながら、そのまま気を失います…

心変わりした女に対して、裏切られた男というものは、むかし、その女が、おのれにつくしてくれたときのよいことのみをおぼえておけばよい。そうすることによって、男は、さらに心うるわしく姿美しい女を得ることが出来よう。

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

大黒屋の奥二階の一室で、安兵衛と老武士は、向かい合って食事をとるところ。

安兵衛は祐見に斬られる寸前のところを、この老武士に助けらました。

そう、この老武士は、向かいの宿から、安兵衛に鋭い一瞥いちべつを向けた老武士で、安兵衛の尋常ではない相貌を見て、後を駆けつけてくれたのです。

老武士の名は菅野六郎左衛門菅野は安兵衛の折り目正しい態度に好感を持っていました。

そこはやはり安兵衛が厳格な父、弥次右衛門に育てられた賜物だったのです。

おそらく、先の大石内蔵助も菅野と同じ気持ちであったでしょう。

菅野は、先ほどの安兵衛の行動からある程度の事情は理解できたが、

それを話したがらない安兵衛に優しく問います。

菅野:「…男は、女のほかに、まだ大切な一事が残っておる筈。これは、おぬしもおわかりであろう」「申されい」

安兵衛:「武士たるものの道を、おこなうことにござります

菅野:「その通り」「武士とは何じゃな?」「思うた通りにいうてみなさい」

安兵衛:「人の頭(かしら)たるべきもの

菅野:「ふむ、出来た」「では、人の頭たるべきものとは?」

安兵衛:「我が身をおさめ、世のためにはたらくこと、で、ござりましょうか

菅野:「ま、そんなところであろう」

安兵衛:「おそれ入りました」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

そして、菅野は「男子の本懐」としてこれからやりたことを安兵衛に聞きます。

安兵衛は剣術と学問の二つを希望すると菅野は快諾し、力になることを告げます。

菅野の人格からくる頼もしさに、安兵衛は現在までの経緯を全て話すことに…

その後、食事を終えた二人は、一緒に風呂に入ることになりました。

「よい湯かげんじゃ」

「明日死ぬる身と思えば、尚更に、風呂をつかうしあわせが身にしむるわ」

人たるものは、いつも死を明日にひかえ、このことを覚悟して今日を生くる。

…風呂と酒と女…よいなあ、安兵衛殿。こんなよいものが男にはめぐまれておるのじゃから、男たるもの命をかけて、これらのものをいつくしまねばならん」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛上巻』新潮文庫より

菅野六郎左衛門という素晴らしい人格者の尽力によって、

暗転の連続であった安兵衛の人生が今、大きく変わろうとしていました。

3-3 天下の浪人安兵衛

聞けば菅野六郎左衛門は、一人息子を亡くしており、生きていれば安兵衛と同じ年であったといいます。

中山安兵衛という折り目正しい若者に好感を持ち、

社会復帰に尽力を尽くしたのは、今は亡き、息子を思ったのかはさだかではありません。

二人は江戸に戻り、菅野は安兵衛と義理の叔父としての契りを結びます。

菅野はまず、安兵衛が以前、無断で藩を脱走した罪を消すことに尽力しました。

安兵衛が埋めた福田源八のことを知る人間は、祐見と伊助、菅野の3人のみ。

その事実を菅野は伏せて奔走した結果、父の死の真相についても、思いもかけない真実がわかります。

それは、新発田藩の殿様が、普段から武士道を説く、武骨な中山弥次右衛門を疎ましく思い、遠ざけるためにわざと放火犯の犯人に仕立て上げたというものでした。

これは、一国の大名が行う行為ではないことが明白です。

その後ろめたさのためか、安兵衛の脱藩の罪は問われないことになりました。

次に、安兵衛が奉公していた徳山五兵衛の門限破りについては、

「何とも思ってはおらぬ。あやつに遊びに来いとつたえい」との返事をもらったのです。

安兵衛はおどろきとよろこびで思わず、涙ぐむことに…

これで、安兵衛が罪を問われる事情は一切なくなり、晴れて大手を振って江戸の町を歩ける立場となりました。

そして、安兵衛は、大石内蔵助との約束を守り、江戸の浅野藩邸へと借りた金銭を返しに行くことに…

すべての過去を清算した安兵衛はその後、

江戸でも随一との評判である堀内源左衛門げんざえもん道場にて、ひたすら剣の修業に励みます。

直接、道場主である堀内源左衛門から剣の指導を受ける安兵衛。

源左衛門いわく、

「中山安兵衛。ありゃ大へんなやつじゃな」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

幼少からの努力もあって、安兵衛の天性の剣士としての才能がついに、開花する瞬間を迎えます。

3-4 菅野六郎左衛門の一分

ある日の昼、菅野家の下女でみつという女性が長屋裏手の井戸に水をくみにいきました。

水を手桶にくんだみつは帰ろうとすると、何のはずみか、バランスを崩して転倒し、

手桶の水を全部こぼしてしまいました。

水は勢いよく跳ね、近くを通りかかった村上三郎右衛門の袴を濡らしてしまいます。

みつはすぐにひれ伏し、謝罪の言葉を述べましたが、その言葉も言い終わらぬうちに

激怒していた村上は、即座にみつを足蹴りにします。頭を地面に打ちつけたみつは気絶をしました。

さすがに、やりすぎたと思った村上でしたが、引っ込みのつかない状況に、その場を去ろうとします。

「待たれい」菅野六郎左衛門がそこにあらわれました。

村上はそのまま逃げるわけにもいかず、ひたすら、みつへの悪態をつくという武士としては見苦しい行為にでます。

菅野はこれに対して、まず、みつの保護と手当を家の者に命じて、次に、村上の武士としてのあるまじき行為を冷静に咎めました。

人格者である毅然とした菅野らしい行為でした。いわば、武士としての格が違うといったところです。

次第に見物人も出てきたこともあり、村上は引っ込みのつかない状況から菅野に対して、果し合いを申し込みます。

この申込みに対して菅野は、無益なる果し合いなどやめることを村上に告げました。

しかし、完全に逆上している村上は、果し合いを受けない菅野を「卑怯者扱い」するまでに…

この上卑怯よばわりは、おだやかでない」「よろし。果し合いのこと、おうけいたす

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

菅野は一人の武士として、その果し合いを承諾します。

後に語り継がれる高田の馬場の決闘は、このようにして生まれたのでした。

4 高田の馬場の決闘 歴史的剣豪誕生

侍

4-1 中津川祐見との死闘

何の因縁か、村上三郎右衛門は、兄の庄左衛門と共に、中津川祐見が開く道場の門人でした。

現在の祐見は、数々の道場破りや、影での真剣による決闘で剣術を鍛え、江戸に名の知れた恐ろしいまでの剣士となっていました。

今回の果し合いの件を、三郎右衛門の兄、庄左衛門から相談を受けた祐見は、自分を含めた門人の複数人で決闘場へ赴くことに…

一方、今回の決闘を「自身の問題である」として、安兵衛に知らせることを頑なに拒んだ菅野。

しかし、菅野の妻宇乃は、その心もとなさから、ひそかに使いをだし、決闘の時刻を安兵衛に手紙で伝えることに…

手紙を見た安兵衛は使いの者に、力のかぎりの助勢を誓うことを伝えました。

世に名高い、高田の馬場の決闘まで刻一刻とせまります。

「いかなる大事が起きようとも、人の暮らしは努めて変えてはならぬ」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

決闘の日、菅野は八ツ半(午前3時)に起床しました。

起きる時刻は早いが、菅野は、いつもの様子で決闘の身支度を整えます。

そして、菅野は、妻である宇乃にいままで共に暮らしてきた礼を述べました。

長屋の玄関へ出て、菅野は宇乃へふり向き、

「つとめて、面白う暮らせよ」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

胸の底まで沁み渡る微笑をうかべ、供である大場一平と高田馬場の決闘場へと足を進めました…

…村上がいさぎよい勝負を挑んでくるはずがない。必ず助勢を連れくるに違いない…

そう思った安兵衛は、菅野たちが高田の馬場に着くより早く現場に行き、場所が一望できるところから、身を潜めていました。

果し合いとは、あくまで武士同士が個人的な誇りをかけた「私闘」であり、他の者が手を出すことは許されないものです。

これは、その武士が属する藩の殿様であっても同じことです。武士の「私闘」が正々堂々の勝負であれば、いかなるの者でも、「手出し無用」ということ。

したがって、安兵衛は、叔父である菅野が村上との一対一の決闘であれば、助太刀をしないことを心に決めていました。

そして、果し合いの時刻になると、菅野と村上はお互いに一人の従者のみを連れて、高田の馬場に現れました。

一対一の勝負に満足した菅野は村上に対して礼を述べます。しかし、これに対して村上は答えません。

両者は、互いに刀を抜き、構えました。少し間をおいて…、

「えい!」「おう!」二人の気合と同時に、刀が振り下ろされ、両者の刃がかみ合いました。

驚いたのは、村上です。菅野をただの老武士と侮っていたのですが、菅野の意外な剛剣に圧倒されます。

勝負の形勢は、村上が菅野に圧されることに…

すると、村上の従者であった、木津精助が動き、菅野に向かおうとしました。

「手出しは無用!」菅野の従者、大場一平は木津の前に立ちはだかり対峙します。

やはり、勝負の形勢によっては、一対一の勝負に持ち込むつもりのない卑怯な村上側でした。

村上と菅野の刃が幾度かかみ合い、離れると、傷は浅いが、村上の顔面からは流血が…

「うぬぬぬ!」こうなると、村上ももう必死です。

安兵衛は、大場一平の頼もしさに感心しつつ、勝負の成り行きを見守っていたとき、

対面の奥に二人の影が見えました。「祐見!」

安兵衛が、祐見の姿に目を取られた瞬間、どこにひそんでいたのか、祐見門人の阿栗小兵衛が菅野に走り寄り、斬りつけました。

肩先に一刀を受けた菅野がよろめいたとき、大場一平と木津精助も斬り合いを始めました。

祐見と村上三郎右衛門の兄、庄左衛門が決闘現場に走り寄ってきたとき、安兵衛も刀を抜き、菅野の助勢に向かっていました。

阿栗小兵衛が菅野に追い打ちをかけようとした時、すばやく駆けつけた安兵衛が声も発せずに阿栗を切り捨てました。

「安兵衛…」振り向きはしなかったが、安兵衛の助勢を知った菅野は嬉しそうな声を出します。

安兵衛:「叔父上。中津川祐見を倒さねば、すべては無になります。祐見を討つまで、お一人にて…よろしゅうござるか」

菅野:「大丈夫じゃ」

祐見:「安兵衛、来たのか…」

安兵衛:「中津川祐見、村上庄左衛門、このざまは何か」

祐見:「庄左衛門殿。弟ごの助勢をなされ。それがし中山を斬る」「みな殺しじゃ」

安兵衛:「祐見、おれは今まで、おぬしがこれほどに、みにくい男とは知らなんだ」

と叫ぶ安兵衛に、祐見は冷笑をもってむくいたのみである。

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

かつて、まだ未熟だった安兵衛を幾度か救ってくれた祐見の姿はもうありません。

中山安兵衛と中津川祐見、高田の馬場での二人の宿命の死闘はここに始まりました。

安兵衛と祐見、互いに刀を構え対峙しているところ、祐見はするどい気合を発します。

しかし、その気合いを押し返すほどの安兵衛の無言の圧力。

祐見は、その圧力から安兵衛の剣士としての飛躍的な成長を感じ、戸惑います。

一方、安兵衛は一人の武士としての祐見への軽蔑から、闘志を倍加していました

祐見がもう一度、自らを鼓舞するため、気合を発した瞬間、猛然と安兵衛が祐見に切り込みました。

互いの刃が何度もかみ合いながら、安兵衛はなおも突進を止めません。

安兵衛の強烈な撃剣による突進に圧され、ついには堤の土へ背中を押しつけられた祐見。

さらに安兵衛の剣がすばやくのびてきたところ、これを待っていた祐見は、得意技である刀を巻き落とす一閃を放ちます。

安兵衛の刀は見事に巻き落とされました。

祐見が、「うまくいった」と一瞬の安堵が生まれたところ、

刀を落されたことなど全く意にとめない安兵衛は、すばやく脇差を抜き、祐見へ片手なぐりの一刀を打ち込みました。

祐見の首が飛び、その胴体がものすごい勢いで走って行き、数間行ったところで崩れ落ちました。

その様子を呆然と見ていた安兵衛。

そこへ、決闘の声が安兵衛の耳に入ってきます。

安兵衛は我に返り、村上兄弟と闘っている菅野のもとに全力で駆けました。

勢いそのままに、安兵衛は村上兄の頭上へ刀を振り下ろし、その頭をたたき割りました。

そして、大場一平も木津精助との斬り合いに勝利し、刀を杖にこちらへやってきます。

「叔父上、中津川祐見は討ちとりましたぞ」

「叔父上。あとは村上三郎右衛門ひとり」

「安兵衛は助勢いたしませぬぞ。御立派に…よろしゅうござるか、御立派に…」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

菅野は、村上兄弟の二人を相手にしたことから、すでに満身創痍の状態でした。

しかし、安兵衛からの激励に菅野は力強くうなずくと、村上弟を追いつめました。

つい先ほどまで圧倒的優位の立場にあった村上弟は、思わぬ形成逆転に戦意を喪失…

見苦しく逃げようとする村上に、安兵衛は立ちはだかり、退路を断ちます。

菅野は最後の力を振り絞り、村上の腹部に一刀を突き通しました。

そして、倒れた村上へのしかかり、短刀を抜いてトドメをさしたのです。

果し合いの軍配は、菅野六郎左衛門に上がりました。

この高田の馬場の決闘は、約半刻(一時間)にわたっておこなわれたと言われています。

4-2 菅野六郎左衛門の遺書

菅野六郎左衛門は戸塚の林光寺に運び込まれました。

果し合いのことは多くの人に知れ渡っており、そこには医者も薬も用意されていたのです。

大場一平は手当の甲斐もあって、みるみる回復しました。

安兵衛は手傷一つ負っていません。

しかし、重体である菅野の容体をみた医者は、安兵衛たちにしずかに首を振りました。

わずかに意識を取り戻した菅野は、安兵衛と大場一平に感謝と褒め言葉を述べます。

そして、息を引き取ったのです…

菅野は子供もいないことからお家は断絶。安兵衛には「自由に生きてほしいから」と養子にはしませんでした。

その後、安兵衛は未亡人となった菅野の妻、宇乃の下を訪問しました。

安兵衛は菅野を守りきれなかったことを悔い、叔母である宇乃に謝罪します。

宇乃は感謝こそすれ、安兵衛を責める気持ちは全くなく、菅野が書いた安兵衛宛ての遺書を手渡しました。

菅野の思いがけぬ自分への遺書に、封を切る安兵衛の手はふるえます。

「さて、何と書きおこうか…。ながながの厚誼(こうぎ)を、ありがたく、うれしゅう思い存ずる。末長う、こころたのしき酒をのみ候(そうら)え。」六郎左                                                                                   安兵衛どの

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

それだけの遺書でした。「お、叔母上…」安兵衛はその遺書を宇乃へわたしました。

たまりかねた安兵衛は顔をくしゃくしゃにして涙を流します…男泣きに泣きました…その溢れる涙はいつまでも、いつまでも、とまりませんでした…

思えば、安兵衛が武士として、また、人として落ちるとこまで落ちる寸前のところで救ってくれたのが菅野でした。

菅野がいなければ今の安兵衛はなかったでしょう。

しかし、菅野はそのような安兵衛に対して、遺書においても、恩着せがましいことはもちろんのこと、教訓めいたことも一切述べず、ただ感謝の言葉と今後も楽しい酒を飲んで生きていってほしいと述べているのです。

人はかならず死ぬ…だからこそ、人が人としての営みを忘れず、毎日を大切に…そして楽しい酒を飲んで生きていってほしいと…

まことの武士で人格者である菅野六郎左衛門らしい遺書でした…

4-3 名声 中山安兵衛

義理の叔父である菅野六郎左衛門との別離からまだ間もないころ。

高田の馬場の決闘における安兵衛の活躍は江戸中に知れ渡りました。

時は将軍綱吉の時代、生類憐みの令などという「天下の悪法」とも呼ばれる法令がまかりとおり、汚職政治が横行する時代。

戦国の世も遠い昔の話となり、太平の世は商業が発達して、人は必ず死ぬという絶対不変の真理も忘れ去られ、ひたすら生にしがみついている人々。

そんな時代に一人の若い武士が、義理によって果し合いという命を投げ出す戦いに見事な活躍をしたという話は、人々を感嘆させました。

いまや安兵衛は時代の寵児となりました。そんな安兵衛に各藩から士官の話が殺到したのです。

その中には、以前安兵衛が属していた新発田藩からの士官の話も…

しかし、有名になりすぎたことによって安兵衛の数奇な運命の歯車に拍車がかかったことは、この時、安兵衛自身も知る由もありませんでした…

4-4 堀部安兵衛 誕生

安兵衛が江戸の町をぼんやりと歩いていると、安兵衛に声をかけてくる女性がいました。

かなり太った三十路女であったため、はじめはわからなかったが、それはお秀でした。

お秀は祐見と逃げた後、しばらくは共に暮らしていたがその後捨てられ、今は、盗賊の鳥羽又十郎の援助を受け、店を経営していると…

つまり、もとのさやに戻ったということですが、その穏やかな様子に安兵衛は安心しました。

安兵衛は今ではまったくお秀への恨みもなく、むしろその後の行方がわからなくなっていたお秀の様子を知って安心し、そして懐かしくも思いました。

懐かしい再会から安兵衛が自宅へ戻ると、堀内源左衛門道場の同門、奥田孫太夫まごだゆうと、同じ浅野家の家臣で堀部弥兵衛やへえという人物が待ち構えていました。

その理由は、一緒に飯を食いたいということでしたが、実際には、江戸中に広がった名声ある安兵衛を堀部弥兵衛がいたく気に入り、自分の家の養子に迎えたいということでした。

安兵衛は父の代で取り潰しとなった中山の家をいつかは再興したいと思っていたことから、堀部弥兵衛の申し出を断ります。

しかし、この老武士、堀部弥兵衛という人物は、知る人がいうに頑固一徹な人物で、かなりのくせものであることがわかります。

その噂通り、安兵衛が再三、養子の話を断っているにも関わらず、あきらめることをしないのです。

そのしつこさは、堀部弥兵衛を安兵衛に紹介した奥田孫太夫が気の毒になるほど…

もともと人物として、安兵衛は堀部弥兵衛を気に入っていたことから、その情熱についに根気負けをして、堀部弥兵衛の養子の話を受けることにしました。

ここに中山安兵衛応庸まさつねは、堀部安兵衛武庸たけつねと改め、安兵衛は浅野家の家臣となりました。この時安兵衛、26歳でした。

5 伝説の忠臣蔵へ 武士の矜持

お城

そもそも、忠臣蔵とはその解釈自体、大きく二分する物語です。つまり、浅野側を擁護する声と、吉良側を擁護する声です。この原因の一つとして、浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけた理由となる明確な証拠がないことにあります。そしてそれは、今後もまずでてくることはないでしょう。

また、物事は人によって受けとめ方が違うもので、忠臣蔵という物語もその例外ではなく、正解というものが存在しないからだとも考えられます。

そして、僕自身も僕なりに様々な立場から語られる忠臣蔵の本を読みました。その結果、やはり自分なりの忠臣蔵が存在すると考えています。なので、忠臣蔵を全く知らないとする人は、興味があれば、様々な角度から語られる忠臣蔵を読んでみて、是非、自分なりの忠臣蔵を探してみて下さい。

この記事の題材となる池波正太郎さんの『堀部安兵衛』は、安兵衛自身の物語であることから忠臣蔵自体はあまり詳しく述べられていません。この記事も同じように、忠臣蔵を語る記事ではないため、その概要程度のみを記載させて頂きたいと思います。

忠臣蔵の発端は、江戸城内において、浅野家藩主、浅野内匠頭長矩たくみのかみながのりが高家筆頭、吉良きら上野介義央こうずけのすけよしなかに対して、刃傷におよんだことにあります。

この日は、毎年行われる幕府の新年の挨拶で、その答礼としてきている朝廷の使者をもてなす大事な日であり、浅野も吉良も幕府側の接待役としての任務をおびていたのです。

しかし、前述の通り、その接待役である二人が刃傷事件を起こしたことから、大問題となります。

時の権力者である幕府の裁定は、浅野から切りつけられた吉良は抵抗しなかったという理由で、これは喧嘩ではなく、浅野内匠頭の一方的な「乱心」であるとして、「浅野は切腹で、お家取り潰し」、一方「吉良はおかまいなし」という処分を下しました。

しかし、この幕府の処分に世間の評価と意見は、異なる見解がありました。浅野からの一刀で気絶せんばかりの吉良の態度は、高齢であるとはいえ、武士としては軟弱であり、抵抗しなかったのではなく、できなかったと…これは武士同士の私的な喧嘩であり、喧嘩両成敗という定法を今回の場合も適用すべきではなかったのか…という意見です。

当然、処分を受けた浅野側の多くの家臣は後者の見解となります。そして、主君の仇敵である吉良は今もなお生きているのです。

そこで、亡き主君の仇を討つため、職を失って浪人となった播州赤穂浪士が結集して吉良を討つべく跳躍します。

その赤穂浪士の筆頭は元浅野家の家老、大石内蔵助。大石はいますぐにでも吉良を討とうとはやる家臣を抑え、まずは取り潰しとなった浅野家の再興を目指します。

しかし、大石の必死の奔走も空しく、浅野家の再興の望みは絶たれることに…かくなる上はと、主君の仇を討つため、赤穂浪士は吉良邸へと討ち入ります。

そして、見事に吉良の首を取った赤穂浪士は、その首を主君の墓に捧げ、浅野内匠頭の無念を晴らすのです。

この赤穂浪士の行動に幕府は、討ち入りに参加した浪士全員46人(寺坂吉右衛門は途中で失踪したため)を切腹とし、一方の吉良家は、お家取り潰しという処分を下したのでした。

今度こそ、喧嘩両成敗という古来からの天下の定法が適用されることになったです。

幕府を含めた、驕りに驕った権力者に対する正義の鉄槌、という赤穂浪士の行動を世間の人々は称賛し、「赤穂義士」として今もなお、後世に語り継がれる伝説の物語となりました…

そして、本編の主人公である堀部安兵衛はというと、吉良邸討ち入りでは存分の働きをして、その後、幕府の処分が下るまで、伊予松山の松平家へ預けられることになりました。

そこでは、同じく松平家へ預けられることになった、大石内蔵助の子である主税ちからの世話を安兵衛はしました。

そして、いよいよ幕府から切腹の処分が下り、その日がやってきます。

まだ15歳にしかならない主税を気遣い、安兵衛は主税に対してこう述べます。

「主税どの。われらはこれより、早目に一日の眠りにつくわけでござる。そのように思われい。それがしも左様に思うております。」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

そうすると、強張っていた主税の表情が少し緩んだように見えました。

そして、切腹の座へ呼ばれた主税は落ち着いた足取りで向かっていきます…

次に、安兵衛に対する呼び出しの声がありました。

「かしこまった」安兵衛はそう答えると、同志たちの方へ向きかえり、一言別れの挨拶をしました。

同志たちの顔は硬直していたが、かなりの落ち着きがみられます。

「これなら、みなも大丈夫だな、だが、いまのおれは、いったい、どのような面をしておるのかな…」

引用元:池波正太郎『堀部安兵衛下巻』新潮文庫より

安兵衛は確かな足取りで切腹の座へ向かいました…

堀部安兵衛武庸、34年の生涯でした…

6 まとめ

侍
龍馬

以上が、池波正太郎著、歴史的剣豪の堀部安兵衛の生涯です。

いいね!「人生七転び八起き」、「人生万事塞翁が馬」とはよく言ったものだな!人がどのような人生を迎えるかは全くわからないものだね!「高田の馬場の決闘と忠臣蔵」、当時の二大事件に関わることになった安兵衛は、確かに稀にみる数奇な運命の持ち主だな!

晋作
龍馬

そうですね!池波正太郎さんの常套句として「人は必ず死ぬ」という言葉を使われます。この意味は、反対から言えば、「人は生きてみなければ何が起きるかわからない」ということです。当たり前のように聞こえるのですが、これを日常から意識することは意外と難しいことでもありますね!

うんうん、僕も池波正太郎さんの本が読みたくなったよ!

晋作
龍馬

いいですね!是非おすすめします!きっと時間を忘れて夢中で読むことになりますよ!

では、ここまで読んで頂きありがとうございました!

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